2012年5月16日水曜日

最上編 封人の家 旧有路家住宅で芭蕉の一句

最上町。ここに松尾芭蕉が宿泊した日本国内で唯一現存する建物があります。
封人の家 旧有路家住宅。 ”封人”とは国境を守る役職のことを言うそうです。
現代風にいえば、”国境警備隊員の家”となります。

宮城県の尿前(しとまえ)の関を越え、山形に入った芭蕉はこの封人の家で2泊。

そこで一句。

蚤虱 馬の尿する 枕もと       芭蕉

                 元禄二年(一六八九)四十六歳の作

ううむ、さすが大物は違うな~
こんな句が後世に残るんだもん(^-^)
松島や ああ松島や 松島や 

これも大物だからこその句!

”のみ”  と ”しらみ” それと ”馬の尿”。
で、芭蕉さん、芭蕉さん!!  どれが季語なんですかいな? 
のみ? しらみ? 
これがどうやら夏の季語だそうです。

気になってこの句の意味をネットで調べてみました。
いろいろな解釈があるようです。

まずは
【善意の解釈】
封人の家には一宿の思いで宿を求めたものの、あいにくの雨で翌日の出立を見送り、都合3日間の逗留となった。その間、芭蕉は何をするでもなく時間を過ごし、時おり囲炉裏ばたに姿を見せたりしたのだろう。そうした中、芭蕉の心を強く捉えたのが馬屋(まや)の馬たちだったように察せられる。人馬が一つ家で寝食をともにする生活環境は、この道中で更に馬と因縁を深めた芭蕉にとって大変に興味深く、何度となく馬屋に足を運び、別れを辛くするほどに小馬や母馬と慣れ親しんだように思われる。

こうした中から「蚤虱」の句が生まれたものとして、「蚤や虱に悩まされる旅寝ではあるが、人と住まいを共にする習いの中、馬が枕もとで小便をするというのも心安く趣があるものだ」などと解釈すれば、芭蕉が次のように第二句に何度か推敲の手を入れ、馬たちへの思い入れを漂わせているのも頷ける。


続いて

【悪意の解釈】
この辺鄙な山家では、一晩中蚤や虱に責められ、おまけに寝ている枕元に馬の小便の音まで聞こえるという、散々な目にあった。

風雨に災いされて辺境の逗留を余儀なくされたいらだち、わびしさなどの感情を蚤や虱には食われ、寝ている部屋に馬の小便の音まで聞こえてくる山中陋屋の実情に即して形象化している。 

尿、シトはふつう、子供の小便で、動物の小便はバリというが、ここでは尿前の関にひっかけてシトと読ませ、人と同居するに等しい馬を人並みぬ扱ってユーモア化している。
なるほど~ 
句意にもいろいろな考えがありますな~^_^
調べてみると、全然違う解釈がなされていました。
蚤・虱に耐えろ! といわれても^_^;
決して”趣き”とは、言えないような気がします^_^;

ちなみに奥の細道5ヶ月の間で、芭蕉は約40日間を山形で過ごしています。
都道府県で一番長く滞在したのは出羽の国。今の山形県だったそうです。

 
 
<山形県で詠んだ俳句>(主なもの) 奥の細道
暑き日を海に入れたり最上川(酒田)
  あつみ山吹浦かけて夕すずみ(遊佐)
  語られぬ湯殿に濡らす袂かな(湯殿山)
  
  雲の峰いくつ崩れて月の山(月山)
  
  五月雨を集めて早し最上川(大石田)
  
  閑かさや岩にしみ入蝉の声 (山寺)
  
  閑かさやほの三日月の羽黒山 (羽黒山)
  
  その玉や羽黒にかへす法の月(羽黒山)
  
  眉掃きを俤にして紅の花(尾花沢)
  
  めずらしや山を出羽の初茄子(鶴岡)
  
  蚤虱馬の尿する枕元 (最上町 封人の家)
現存する唯一の”奥の細道”ゆかりの建築物だそうです

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